大聖歓喜天(ダイショウカンギテン)
大峰山の山伏が参集しての大護摩供は、大聖歓喜天、お聖天さん敬讃のお護摩が多く厳修されています。
秘仏中の秘仏とされ、他の神仏では到底きいて貰えないような無茶な願い事もかなえてくれるという。
 だが、賞罰ともに凄まじく、ご利益が強力なぶん、祟りもきつく、約束を守らない者には、容赦ない罰を与えると言う。だから、この仏は生半可な気持ちでは奉らぬ方が良いという。
 しかし、この仏を奉ると、7代後の子孫の福徳をいっきに集め、大金持ちになることも夢ではない……。
 大聖歓喜天は、しばしば、そう言われている。
 姿は、象の頭を持った者どうしが抱き合った立像が有名だ。他にも象の頭を持った男と人間の女が抱き合った像もある。
 抱き合っていない単身像もあるが、これは経典の絵でしか見たことは無い。像の頭に4ないし6本の腕を持っている。また象の頭が3つある絵もある。
 しばしば、「天部の神様は怖い」と言われる。この聖天さんは、その代表とでも言うべきもので、今でもお寺の住職などは、この聖天が祭られているお堂の側を通る時、これを直視せず顔をそむけて通ると言う。
 しかし、「密教事相大系」などをひもといてみると、そのような話しは俗信に過ぎず、聖天さんを恐れる理由など何処にも無いとも言う。
 実際、江戸時代に、この大聖歓喜天の信仰が流行し、いわゆる「聖天さん」として民衆に親しまれるようになった。
 そして、この聖天を奉ってる寺は確認されているだけでも200ヶ所以上にも登るという。

 この聖天の謂れは、こうだ。
 昔ある国に一人の大臣がいた。この大臣は王妃と不倫関係を結ぶ。それを知って激怒した王は、毒である象の肉を大臣に食わせてしまう。慌てた大臣に、王妃はケイラ山の大根を食べると毒を消せると教える。大臣は、それを食べて一命を取りとまたが、王を深く恨み大魔神ビナヤカと化して、国に禍をもらたらす。
 王と国の民達は、観世音菩薩に助けを求める。すると、観音様は美しい女に化身してビナヤカの前に現れる。その美女に夢中になったビナヤカは、抱かせてくれと要求する。すると、観音の化身である美女は、祟りを止め、仏法を守護する善神になると誓うのなら、抱いてもよいと答える。
 ビナヤカは、それを約束し、観音の化身の美女を抱き、善神となった。

 また、このようなバージョンもある。
 ラケイラレツ王とい名の王がいた。この王は、大根と牛肉しか口にしなかった。そして、国じゅうの牛を食い尽くす。困った国民は、かわりに人間の死体を捧げた。すると、王は瞬く間に国じゅうの死体を食い尽くしてしまった。そして、空腹に耐えかねた王は、今度は生きた人間を食うようになってしまった。困った大臣は、国民たちと共にクーデターを起こし、王を暗殺しようとする。すると、王は大魔神ビナヤカに化身し、眷属と共に空を飛んで去って行った。そして、自分を殺そうとした国の民を恨み、伝染病を流行らせて祟る。困った大臣は、十一面観音に祈る。後は、前の話しと同じである。

 ……にしても、凄まじい由来談だ。
 ところがこれに反して、実にのどかな由来談もある。
 ビナヤカ山という静かな山があり、聖天はここに住んでいる。山中の池は全て清浄な油であり、大根がそこらじゅうに自生している。そこには、吉祥果のなる樹があり、酒も豊富。聖天はここで遊び戯れている。
 聖天を奉る儀式で、油や大根が使われるのは、このためである。

 また、こんな話しもある。
 大聖自在天はウマと言う女神の間に3000の子を設けた。そのうちの1500はビナヤカ王であり、十万七千の眷属を率いて悪事の限りを尽くす悪神であった。もう半分の1500はオウナヤカ王で、十七万八千の眷属を持つ善神せあった。このオウナヤカ王は、実は観音の化身であり、この双方の悪と善を調和させるために、両者は兄弟夫婦となり、相抱して同体の姿を現した。これが歓喜天である。

 これらの他にも、まだまだ別の話しがあるのだが、このあたりでやめておく。
 ひとつの本に、こうした複数の由来談が載せられるなど、混乱がみられ、昔から仏教者を困惑させてきた。
 だが、現代の仏教学では、聖天はガネーシャ神が仏教に取り入れらたものであることが証明されている。

 この聖天を奉る作法には、様々な方法がある。水歓喜天法、華水法、浴酒法などがあるが、最も有名なものは、浴油法であろう。
 この浴油法について、「密教事相大系」や「真言秘密加持集成」に収録されている「要法受決抄」などを参考に、簡単に紹介してみると。
 まず、歓喜天の像を用意する。つぎに月が満月に近づいている期間に、清潔な室内に牛糞を用いて円壇を作る。そして一升のゴマ油を清浄な銅の器に入れる。そして、真言でもって油を呪すること108回。そしてその油を暖めて像を浸し、祭壇に安置する。供え物として、大根、歓喜団子、酒などを置く。次に清潔な銅のひしゃくでもって、その油を汲み上げ、像の頭に注ぐこと108回。これを午前中に4回、午後に3回、合計1日に7回行う。この作法を7日続ければ、願いは成就する・・・。
 大雑把には、このようなものだ。細部については写本によって、かなり異なってくる。さらに、プログラムも写本によって違う。中には、願いがかなわない時は、像を逆さまにし、煮えたぎった油に入れろ、みたいなかなり乱暴でバチあたりな行法もあり、ギョッとさせられる。
 ともあれ、「秘仏たる歓喜天の尊像を見て修法するには、神人合一の心的状態に入って修するのでなければ、その効験なきのみならず恐るべき障害をうけることさえあるために、心を神人合一境に入ることのできない者は絶対に浴油供を修することはできない」という。
 だが、効験をえれば、商売繁盛、金運向上、男女和合、勝負事の勝利などが可能であり、また敵を呪い殺す法さえ記されている。

 ともかくも、この歓喜天は、大根と縁が深い。
 由来談にも大根が出てくることからも、これはあきらかであろう。それで、この双身像に当てはめて、二本の大根が交差したもの、あるいは男女和合の考え方からか、ふたまた大根が象徴として用いられることもある。

 当然のように歓喜天は男女和合を司る神であり、性的なパワーに関わる神であった。
 こう聞くと、おもわずかの立川流を思い出す。この立川流については、別項で詳述する。
 ともあれ、歓喜天の修法者は、立川流と結び付けられることを、非常に嫌っている。

 思うに、歓喜天は、二面性を持ちながらも、やはり恐ろしい神としてタブー視するのは、ちょっと仏教の趣旨に反するのではあるまいか?
 実際、庶民によって知られているのは「聖天さん」という親しみのこもった呼び名の方であるから。
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